あらゆることから学ぶ

職場や学校に限らず、勉強とは関係ない様な事からも、学んでいくブログです

乱読のセレンディピティから学ぶ

追記:以下リンク先にも、関連した話を書きました
http://kitoku1.blog129.fc2.com/blog-entry-231.html

今回は、この本 http://www.amazon.co.jp/dp/4594069967 についてですけど。
勿論、この記事も「乱読でOK」です。
まず一言。良書ですので、読んでください、以上終了。

・・・何も学びになってないですねw
えっと、一番思ったのが「乱読と精読(熟読)で得られるものが違うので、使い分けが大切なのでは?」という事ですね。
というか、「銀の弾丸有るの?」って話だと思いますし。

僕は、「ネット以外の読み物」については、超の付くほどの精読タイプなんですけど、
精読は、「本格的な分析」をするには適しているとは思うんですね。
一方、「ネットの記事」については乱読(流し読みとか速読)傾向が強いんですけど、
こっちは、「気付き」とか「アイデア」とか「ひらめき」とか「簡単な分析」に適しているんじゃないかと。
いや、逆のケース(つまり、乱読で本格的な分析は出来ないのか?)が絶対に無理かどうかは不明だと思うんですけど、
そこに関しては、どうも出来るイメージが沸かなかったですね。現状では。

とりあえず言えそうな点としては、本の中にも書かれている通り、
イデアなどが浮かぶ時には、「(ジャンル問わず)色々な記事を乱読して、突然パッと浮かぶ」というケースが確かに多いんです。
「点と点」が繋がった様なイメージかな。
ここは、他にも同じ事を言っている人が沢山いらっしゃいますけど。
でも、分析は・・・どうかなと。

一方、分析する時(これは個人的なやり方ですけど)には、
文章(ゲームの文章とかも含まれます)を「じっ〜と」読んで、
「その言葉が発せられた状況に思いを馳せた(これはフィクションの場合が多い。いわゆる感情移入でしょう)」り、
「名言でも、その言葉の前後の文脈を読んで、名言の真意を掴み取ろうとした」り、
「暗喩・隠喩は無いか探した」り、
「文章のニュアンスを掴んだ」り、
「行間を読もうとした」り、といった様な事をやっています。
・・・あんまり一般的じゃない気もしますけど(苦笑)
だって、ゲームプレイ中に、5分以上プレイ止めて、感情移入している時もありますしね(苦笑)
で、この辺のやり方をどうやって身に付けたかは、現在整理中で、大変に駄文で恐縮なんですけど、
もう一つのブログ http://kitoku1.blog129.fc2.com/blog-entry-222.html に書いた内容(の特に文章理解)が、
「非常に怪しい」と疑っている所です。

ということで、乱読と精読で全然違うんで、使い分けが大切なんじゃないかと思うわけですけど、
精読の弱点として、当然の事ながら「読書量が減る」というのがありまして、
それが、我が家の積読状態に繋がってもいる一因でもあるんですけど(苦笑)
んな事はどうでも良いですね。
あと、「現代は読み物の数が大変増えました」「でも、その読み物の中で、10〜20年後も残っている本は極一部」
ということも踏まえますと、
「色々な本を乱読していって、知識を増やす(ここは乱読でも精読でも出来そう)と同時に、
もう一度読む必要の無い駄書を見極めて捨てる。捨てなかった本をまた読む時には、やや精読傾向を強める」
「また、乱読をしていくことで得られるアイデアなどを、上手く活用していく」
というのが「一つの案」かなぁと。

あと、読書といえば「知識を増やす」が当然ですけど、
この本は、「知的メタボリック(ググっても出てきます)」という言葉で、警笛を鳴らしていますね。
まぁ、個人的には、「読書は知識を得る事が目的ではない。得られた知識を活用して社会に貢献する事が目的」と思ってますので、
特に違和感無かったですね。

ということで個人的には、今回書いた様な「セレンディピティ」を得ることが出来ましたというお話でした。

他人から学ぶ_その1

何とも普遍的なテーマだなぁとも思うんですけど、
知ってる限り、生きていく上で最も重要じゃないかなぁとも思うので。

あと、テーマがテーマだけに、
色々な角度から語れると思うので、
今回は、概要だけサラっと書きたいと思います。

まず最初に、注意点を一つ書いておきますと、
「他人から学ぶってことは、君(僕の事)からも学べってこと?」
という様な事を思った方は、この先は読まない方が良いと思います。
僕に限らず、誰に対してもそうなんですけど、相手に対して感情的に苛立ったり高ぶったりしている時には、
その相手からは、何も学べないと思うんですよね。
一応、その相手は、ユング心理学でいう「影(シャドウ)」だとは思うので、
学べた場合のリターンは凄く大きいというのはあるんですけど、
リスクも凄く高いので、無理する必要ないと思います。
「僕以外の他人さん全員」から、学べば良いと思いますよ。

閑話休題

じゃあ、本題に入ります。
最近、気付いたんですけど、
本にしても、ネットの記事にしても、テレビにしても、各種フィクションにしても、各種芸術にしても、
その媒体の向こう側には「他人」がいて、
「媒体を通じて、他人から学んでいる」んですよね。
勿論、友達から媒体を通じずに、直接学ぶなんてのもありますけど。
ですから、学ぶには他人との関わりが必須と。

で、一応、「自分」から学ぶなんてのも無くはないと思いますけど、
でもそれって、「自分を客観的に見る」というスキルが必要で、
その難易度って、別に書く必要ってないと思うんですけど。
「そんなの簡単です」?・・・そう、良かったですね。
で、この、自分を客観視については、
一応、この記事 http://womantype.jp/mag/archives/18584 に、
それっぽい事が書いてありますね。

閑話休題

本題に戻ります。
さっき「客観的」って書きましたけど、
やっぱり、これが一つのポイントではあるんだろうなぁと。
非客観的(主観的)言動って、別にそれが間違っているとは思わない(それはそれで、一つの真実ではあると思うので)んですけど、
ただ、「貴方がそう思っているだけ」という一面も、必ずといって良い程付いて回ってきまして。
だから、「主観的さは、間違ってはいないが、他人に対する説得力に欠けるのは確か」なので、
周囲が納得出来る様に、他人から学ぶということなんじゃないかなぁと思います。
・・・この下り、書いてて特に今ひとつしっくり来ない所がありますし、
また、こういう話 http://logmi.jp/7293 もありますので、
別に批判に限らず、「何か気付いた点」を指摘して頂ければ幸いです。
勿論、この下り以外の部分でも構いません。

じゃあ、他人から学ぶとは言うものの、どうやって学ぶのかという所について。
「見たり」「聞いたり」「話したり」といった「五感を駆使する」というのが、一つあるかと思います。
まぁ、味覚を駆使するというのは、イマイチ謎ですけどw
勿論、五感が全て使えない人もいらっしゃるわけですけど、
普遍的に人間に備わっている機能ですから、それらをフルに駆使するのは大切なんじゃないでしょうか。
ただ、じゃあ単純に見たりするだけで良いのかというと、それもちょっと微妙で。
「見る」にしろ「聞く」にしろ「話す」にしろ、共通しているのは、
その後に「考える」ということ。
一応、考えなくても、見たりするだけで学べる部分もゼロではないと思いますけど、
でも、「すぐに頭打ちになる」とは思いますね。
また、個人的には「精読・熟読」タイプなので、現状ピンときていないんですけど、
「速読・乱読」の様に、それこそ「風の様に」、読んだり、見たり、聞いたりしても、
その後に、ちゃんと考えれば、問題無い様にも思います。
ここは、僕自身が現状他人から学んでいる所ですね。

更に、「他人」とは言うものの、じゃあ具体的に誰?という点について。
「どんな他人」もです。
こちら http://d.hatena.ne.jp/kitoku_magic/20140326/1395845525 にも書いた様に、
別に偏っていても良いんです。
ただ、ここは現在進行形で考察中なので、はっきりとは言えないんですけど、
「他人から学んだ上での偏り」と「他人から学ばなかった上での偏り」の差異が、
現状の「炎上などの有無」の差異となって現れている様に感じるんですね。
勿論、他人から学んでいる方が炎上していないんですけど。
「炎上している方の偏り」って、何か「人としてやってはいけない事をやった上で偏っている」んですよ。
ですから、別にこれ一つじゃないですけど、
他人から、人としてやってはいけない事は何なのかを、学ぶというのはあると思いますね。

あと、「色々な人から見聞きしたりして、考える事が大切」ですねとは言うもののですよ。
考えるのは、やっぱり「疲れる」んですよ。
なもんで、「休む時には休む。新たに学ぶ為の体力を回復させる為」にも。
あと、これは完全な休みではないと思いますけど、
現実(ノンフィクション)を見過ぎて疲れてしまった人は、
架空現実(フィクション)で、楽しみながら学ぶと良いんじゃないかと思いますね。

探せば、まだまだネタは出てくると思いますけど、
今回はこのぐらいにして締めたいと思います。

最後に、書きながら思った事を一つ。

この、「他人から学ぶ」というスキルをどこまで高められるかどうかで、
人生って大きく変わるんだろうなぁと思いますね。

・・・僕も頑張らねば。というか、壇蜜さん、人間じゃないw とても「霊的」に感じるw

ユング心理学から学ぶ_その1

フィクションが続いていたので、今回はそうじゃないのを。
といっても、フィクションじゃないけど、オカルト色は若干ある分野ですけど。

で、今回の主題はこの「オカルト」という分野についてです。
というのもですよ、今回は「手にとるようにユング心理学がわかる本」 http://www.amazon.co.jp/dp/4761264853 の内容を参考にもしている(この本、書き方が平易で大変理解しやすかったです)んですけど、
その中に、「ユング心理学は、そもそもとしてオカルト色がある」的な内容が書かれておりまして。
まぁ、個人的には大変にビックリしたんですけど、
でも、言われてみれば「まぁ、確かにそうかも」とも思いまして。

心理学といっても、ココ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6 の分類にもある様に、色々あるわけですけど、
ユング心理学が属する「深層心理学」のカテゴリについては、
まぁ、「深層」ということもありまして、「大変に認識が難しく」、
「オカルトなんじゃない?」と感じる様な部分が、やっぱりちょくちょく出てくるという感じですね。
「全部」ってわけでもないと感じてますけど。
例えば、タイプ論 http://www12.ocn.ne.jp/~yukine/chara/type2.html なんかは、特にオカルト色は感じないと思う方が多いんじゃないかと思うんですけど、
でも、元型 http://www.geocities.jp/izumikawauso/archetype/ だと、
若干オカルトチックに感じられるんじゃないかなぁと思いますし、
共時性 http://j-phyco.com/category1/entry9.html までいくと、
更にオカルトチックなんじゃないかなぁという感じがします。
・・・あんま変わらんかな、元型と共時性は。

で、そうなると「オカルトというものについてどう思っているか次第で、この分野に対する態度が変わってくる」と思うんですよね。
オカルトに対して否定的だったら、当然「信じない」となると思いますし。
個人的には、オカルトがどうかというより、不可知論者 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%8F%AF%E7%9F%A5%E8%AB%96 なもんで、
「自分に認識出来ないモノがあっても、当然と考える」んですよ。実際そうですし。
ですから、以前にリアルで、霊感があるという人がいまして、そっちにいったら幽霊が出るから危ないみたいな事を言ってても、
「俺には見えないけど、そうなのかな」と思って、結局そっちには行かなかったですね。
また、霊の存在については、
個人的には、霊感も全く無いと思うし、幽霊も見たことがないんですけど、
上述の通り、「自分が認識出来ていないだけかも」というのが根っ子にあるので、
「霊がいるかもしれないし、いないかもしれない」という態度なんですよ。
ですから、オカルトについても同じ態度でして、
「UFOとか神様とかも、見たことはないけど、いるかもしれないし、いないかもしれない」という。
要は「分からん」。
ですから、「貴方はオカルトを信じますか?信じませんか?」なんていう質問は、大変に的外れだと感じてまして、
「信じるというほど信仰していないし、信じないというほど否定的でもない」としか言いようがないんですよ。
っていうのが多分、オカルトについての最大のポイントだと思います。

じゃあ次に、例によってメリットとデメリットについて。

メリットは、単純に「心が落ち着く」という部分。
やっぱり、精神分析な一面があるかと思いますので。

デメリットは、これはユング心理学というより、オカルトについてですけど、
既に決着が着いている命題にも関わらず、「不可知論って言葉だってあるし、やってみなきゃ分からないじゃないか」という様な主張。
例えば、初歩的なセキュリティホールを作りこまないでくれというシステムを求められたのに、
XSSとかSQLインジェクションを起こせるプログラムを書いたら、そりゃあ起きてしまいますし、
起こさない方法があるにも関わらず、それをやっていないのは、単純に勉強していないわけで、
そんなレベルの話で、不可知論とかオカルトとか持ち出されても、依頼元やユーザーに対して実害を与えるだけかと。
イノベーション「もどき」なんかも同じですね。

じゃあ最後に、ユング心理学と、どう向き合っていけば良いのかという点について。
先述の通り、オカルト色が強い部分とそうでない部分があると思うので、
まずは、オカルト色が弱い(もしくは無い)部分から学んでいくしかない様な。
また、オカルト色が強い部分については、ユングは幽霊を見たと言っていたらしいんですけど、
でも、個人的にはさっぱり分からないわけで、この時点で「個人差」が出てしまってます。
ですから、「個人の人生経験の差異によって、メリットを感じる度合いに大きな差が発生しやすい」分野かもしれません。
ただ、それでも、コンプレックスとか、使える部分もそれなりにはあるのでは?という感じですね。

ファイアーエムブレム 新・紋章の謎から学ぶ_その1

さて、遂に「個人的な真打ち(理由は後述)」登場という感じですw
そういえば、ゲームに限らずフィクション全般について思うのが、
フィクションって、殆どは娯楽目的の為だけに存在していると思うんですけど、
娯楽だけじゃなく、学び目的にも使うというのは、何とも贅沢な話ですねw

さて、本題です。
このゲームから最も学べる事は何か、多分「戦略(まぁ、シミュレーションですから)」なんじゃないかと思いますので、
その点を中心に。
と言いつつ、まずは「ストーリー」から触れてみたいと思います。

あと、前提として、僕はリメイク前(SFC版)も散々プレイしているので、
結構、説明をはしょっている部分も多いかもしれません。
説明を求められた場合には、それなりに話はしますけど。

1.ストーリーについて

このゲームは「戦争(ちなみに、喧嘩も規模の小さい戦争だと思ってます)ゲーム」です。
で、「戦争における正義」とか、「戦争が起こったことによる悲劇」というのを、
痛感することが出来ます。

前者は、例えば「マムクートという"少数民族(現実だと、例えばアイヌとか)"であるが故に、
差別され迫害され続けてきた集団と、その集団の王であるメディウスは果たして悪なのか?」
とか、他にも敵キャラ(ハーディンとかガーネフとか)にも同じ事が言えます。
このゲーム、一見すると「正義が悪を倒す」王道ストーリーに感じられるんですけど、
「敵側にも正義があって、ただそれがぶつかり合っている」っていうだけなんですね。
で、その辺の内容も、それなりに描いている(ただし、女神転生よりは薄いですけど。ただ、それも一つポイント)ので、
その辺は学べるんじゃないかと思いますね。

で、女神転生(真1と真4)とのストーリーの比較でいきますと、
FEの方が、「勧善懲悪さが強いが、だからといって、完全な勧善懲悪でもない」というのと、
FEの方が、「天使や悪魔といった想像上のキャラが殆ど出てこない分、イメージはしやすい」というのと、
FEの方が、「雰囲気が妙に暗くない分、とっつきやすい」という辺りがあるかなと。

まず、一点目については、女神転生のテーマの話って、
「とても哲学的で難しい」というのがあると思いまして、
で、こういう話を「いきなり」すると、コチラ http://www.twitlonger.com/show/n_1s0ir13 と同じく、
混乱の元にしかならないと思うんですよね。
だから、「段階」が重要なんじゃないかと思いまして、
じゃあ、まずはFEからの方が良いんじゃないかなぁと。
で、ドラクエやFF(個別の作品によっても違うが)よりは、
FEの方が勧善懲悪さは弱いと思うので、
題材としては、結構ちょうど良いのかもしれません。

二点目については、むしろFEの方がイメージが沸きやすい分、キツイんじゃないですかね。
天使や悪魔って、人間を象徴化しただけの存在だと思いますけど、
そうなると、オカルトチックになって、説得力は薄れるんじゃないかなぁと。
でも、このゲームでは「人間同士」で喧嘩してますから。

三点目については、女神転生の方だと、
タイトル画面のBGMとか、
オウム真理教を連想する様なBGM」とか、
音楽の幾つかに、「このテーマを扱うにあたって、このBGMにする必然性は無いのでは?」という部分がありました。
ストーリーがエゲツないとかは、テーマ的に「そうせざるを得ない」と思うんですけど、
プレイする最初の時点から、とっつきにくさまで出す必要性はあったのかなと。
といっても、まぁ微妙なんですけど。
でも、FEの方は、いかにも王道的なBGM(といっても、曲によっては悲しいけど)が多いので、
とっつきにくさは感じないのではと。

総括すると、「FEをやる前に、女神転生をやらない方が良い」というのは、あるかもしれないですね。
勿論、女神転生の方が好きって人は別として。

次に、「悲劇」について。
ゲーム内のサブシナリオである「新・アカネイア戦記」の、「カミュとニーナ」の話なんかは、
「戦争が起きなければ、結ばれたのでは?」と、思わずにはいられなかったですね。
だって、国が対立している中で、その国の軍人と姫の恋愛を許容するなんていうのは、
言ってしまえば、「許されない恋愛」だと思いますし。
実際、対立していない国同士では、マルスシーダが結婚しているわけですし。
だから、「対話の放棄により、戦争を起こしてはならない。なぜなら、こういう悲劇が生まれるから」となるんじゃないかと思いますね。
で、これ、もう少し抽象化すると、
「個人として期待したりされたりしている役割を果たすという点において、その役割に対する一定の理解が必要なのではないか」
という一面もあるんじゃないかと思いますね。

あと、これは戦争とは直接関係ないんですけど、
「言葉」って何なのかって思う所がありまして。
で、「どうして歴史の上に言葉が生まれたのか」という某音楽の歌詞もあったりするんですけど、
言葉って「和解」の為に生まれたという一面があるんじゃないかと思いましたね。
言葉を介さずして和解することは不可能だとは思わないですけど、
それはハードルが高いですし、言葉を介さない分、齟齬が発生しやすいというのもあると思うので。

次に、これも戦争とは直接的には関係がないんですけど、
「ジゴロやヒモ」の関係を想起させる部分が、
今回追加された「外伝」部分のストーリーにありましたね。
テンプレートとして、苦しめられている人間がいた時に、
「苦しめられずに済むには、〜をしなければいけない」と話し、
苦しみから開放させるという話。
で、結果として、「貴方の言うことなら、何でも聞きますし従います」という風に、
助けられた側はなっていくと。
で、ここまでは多分、「悪い」とされない部分なんじゃないかと思うんですけどね。
ただ、ここからエスカレートして、
「何でも聞きますし従います」と言ってるからといって、
果たして本当に何でも命令して良いのかという所に「品性」が出るんだと思いますね。
あと、「長期的戦略」とかもあるかな。
誰しも「欲望」というものがあって、それは決して否定出来るものではないというのは、
個人的にも多々実感する所(僕の場合、主にエロス方面ですけどw)ではあるんですけど、
だからといって、その欲望を全て相手にぶつけて良いのかというと、
まず「同意の確認」はしなきゃマズイと思いますし、
同意を得たとしても、それを逆に自分がされた時に嫌だと思うなら止めた方が良いと思いますし、
嫌だと思わなかったとしても、「マナー」としてマズイなら止めた方が良いという様な、
ハードルがあると思いますね。
あと、もう少し考えを進めてみて思ったんですけど、
その欲望を叶えてくれる人間(人間に限らないかもしれないですけど)って、既にいません?
いや、確かに中々見つからないって部分は、分野によってはあった(マニアックだと中々ね)んですけど、
個人的なエロス方面の欲望については、もしかしたら全て満たされたかもしれないなぁと思ったので。

あと、これで本当に最後で、キャラクターについて一人だけ。
チェイニーというキャラがいるんですけど、
彼を見ていて、以前の記事 http://d.hatena.ne.jp/kitoku_magic/20140326/1395845525 内の、
「N-N」に当てはまるのはチェイニーでは?と思いました。
だから、理想のリーダー像はチェイニーみたいな人間であるという暴論w
詳しくはゲームをやって「発言」に注視してもらえればと思いますけど、
彼は自分で「人間でも竜でも、俺は中途半端過ぎる」みたいな事を言っているんですよね。
で、中途半端だからこそ、人間の立場にも立てるし、竜の立場にも立てるんじゃないかなぁと。
このゲーム、人間と竜の争いな部分もあるので。
あと、性格的にも「勤勉ではなく、怠惰」にも見えますし。

2.戦略について

ストーリーが予想以上に長くなりましたけど、
ここからが、このゲーム特有の肝な部分。
戦略において、一番のポイントになると思われるのが、「リソース管理」だと思います。

通常のRPGで多いと思われる点として、
「敵が強くて倒せないから、雑魚敵を倒して経験値やお金を稼ぐ」という点があると思いますけど、
このゲーム、リメイクで追加された機能で出来るかもしれない(僕は原作と同じ様にプレイしたので不明)ですけど、
これが、「ノーリスク」では出来ません。
「闘技場」や「訓練場」を使えば出来ますけど、そこには「死んだら終わり」というのと、
「お金が減る」というリスクを負う必要があります。
あ、ただ、いわゆる「ボスチク」というのはありますね。
難易度ルナティック(最も難しい)だと、そこにも制限が設けられてますけど。
とはいえ、基本的には「得られる経験値」も「得られるお金」も「得られるアイテム」も、
「無限」じゃなくて「有限」なんですね、このゲーム。
だから、「戦略考えないと詰む」んです。
まぁ、難易度が一番簡単なノーマルだと、ちょっとやそっとの失敗じゃ勿論詰まないと思いますけど、
でも、「物凄い緊張感」があります。
ボタン一個押すのでも、「本当にこれで大丈夫か?」と何度も葛藤しますしw

で、現実の人生でも、「あらゆるものは有限」だと思うんですね。
「人生の時間」・「お金」・「合う人間の数」・「仕事をするメンバーの数」・「学ぶ分野の量と質」などと、
書き出したらキリがないわけですけど。
ですから、戦略大切なんじゃないかと。
そういえば、リソース割り振りといえば、こういう http://d.hatena.ne.jp/gallu/20120122/p1 のもありますね。
このゲーム内でも、マイユニットのパラメータをどう作成するか?というのがありますし。

で、戦略を考える上でのポイントとして、
「職種という役割」が大切になってきまして。
つまり、「前方で戦う騎馬隊や戦士」とか、
「周囲を撹乱するペガサスナイト」とか、
「後方から、援護射撃的に弓を放つアーチャー」とか、
「後方で回復をし続けるシスター」とか、
あと「軍師」もいますけど、このゲームだと「プレイヤー自身が軍師」かな。
で、どの役割も必要なんですよ、というか、「偏ったら負ける」んですね。
まぁ、ゲーム内のマップ(一種の局面)によっては、
偏っていても勝てる(正確には「負けない」、逃げた方が良いマップもありますし)時もありますけど。
あと、上記の中だと、
特に、「援護射撃」なんかは、地味で重視されていない様に感じますね。

あと、個々が弱い集団だから勝てないという点については、
ニコ動に「イラナイツ」というプレイ動画がありまして。
これ、要するに「弱くて使えないキャラばかりを使って、クリアする」という壮絶企画で、
ニートに希望を持たせる良い企画だと思いますw
だからですかね、こういう記事 http://bylines.news.yahoo.co.jp/miyazakitomoyuki/20131210-00030532/ を読むと、
なんか、希望を持ってしまうのはw
ただ、イラナイツの場合、軍師(プレイヤー自身)が優秀じゃないと、
さすがに難しいと思いますけど。

あと、「詰む」っていう点について、
難易度がルナティックだと、確かにちょっと間違えただけで詰むんですけど、
じゃあ、現実の課題の全て(課題の内容によっては、確かに難しい)が、
ルナティック並みの難易度かというと、
別にそんなことはないと思うんですけどね。
人生が詰むケースって、一回や二回の失敗の結果じゃなくて、
何百回(もっと多いかも)とか失敗した結果だと思います。
大学に行けなかった、新卒で入社出来なかった、正社員になれなかった、結婚出来なかったとしても、
別に挽回など幾らでも出来ます。
ここに、高卒で、25歳過ぎまで正社員になれず、転職も7回ぐらいしていて、
友達の数も一桁で、30年以上彼女いなくて童貞の人間もいますけど、別に普通に生きてますし、
下手するといわゆる「勝ち組(ただ、勝ち基準が多分、通常とは違うと思うが)」にもなってしまってますし。

更に、こういうのもあるかもしれません。
戦略をバラすという点について、
バラしたら負けると思うんですけど、それでもバラす(よく、ネットとか本で成功事例みたいなやつが公開されてますよね)のは、
勝ち負けに拘っていないか、もしくは今のレベルで勝ち負けしようと思っていないというのが、ある様にも感じますね。
まぁ、「切磋琢磨」というのが、根っ子にあるのかもしれません。
逆に、戦略をバラしていないのに、あっさり見抜かれる戦略というのは、
それは戦略としての質が低いんじゃないかなぁとも。

なんか、どんどん追加されてますけど、
あと戦略でも「短期的」と「長期的」があるなぁと。
ゲーム内でも、少ないマップ数をクリアするだけなら、
あんまり戦略考えなくてもいけるんですけど、
その調子でずっとプレイし続けたら、後で詰んじゃうとか。
だから、先を見越しつつも、
目の前の課題をクリアするという視点が大切かなと。
で、ココ結構難しい所だと思うんですけど、
やっぱり、長期的に考えるのは、短期的に見て余裕がある時じゃないと危険だと思うので、
まずは、目の前に注力が基本で、
で、目の前に余裕が出来たら、先々の事も考え始めるのが良いんじゃないですかね。
先々の事を考えていても、
目の前がピンチで死んだりしたら、基本的には無駄に終わってしまいますし。

あと最後に、これはちょっと変則的なケースですけど、
戦略を「考えない」方が良い場合もあると思います。
例えば、子供が泣くっていうのは、戦略じゃなくて本能だと思うんですけど、
そこで、泣かないという戦略を子供に取られても、
親としては、多分困るんだろうなとw
だから、こういう場合は、戦略なんぞは考えない方が良いんでしょうし。

戦略については以上で、
じゃあ、このゲームをプレイするにあたって、特に時間が無い人に推奨したいのが、
ゲームの本編「じゃなくて」、
「サブシナリオ」である「新・アカネイア戦記」や、
「ダウンロードしてプレイする配信シナリオ」だと、
「1マップのみのプレイ」も出来る(しかも、アカネイア戦記の方は採点も出る)ので、
これらが良いのではないかと。
ただ、難易度は本編の最初より多分高そうですし、
ダウンロードするシナリオは、
コレ http://www.nintendo.co.jp/support/information/2014/0227.html が終了すると、
終わりっぽいので要注意ではあるんですけど。

まぁ、このゲームについては、こんな感じでした。
個人的には、ルナティックがあるから、
飽きなければ5年ぐらいは十分遊べそうなゲームだと思いますねw
だって、マジで「手強いシミュレーション」だしw

ファイアーエムブレム 新・紋章の謎から学ぶ_その2
http://d.hatena.ne.jp/kitoku_magic/20140526/1401095773

真・女神転生Ⅰから学ぶ_その2

遅くなりましたけど、その1 http://d.hatena.ne.jp/kitoku_magic/20140324/1395656337 の続きです。
その1を読んでいる前提で、以下を書いていきます。

結局、何を言いたいのかというと、その1のタイプ別属性から、
「どういうタイプの人間が、リーダー(上に立つ人)として適しているのか」
という点です。

ちなみに、リーダーの「最低条件」として、
「高スキル」は「必須」だと思います。
これは、どの属性でも関係なく。
というか、低スキルのリーダーじゃあ、性格云々以前に「何も出来ない」と思いますから。
これ、別に「実力主義」がどうのこうの以前の問題で、
実力が無いと、ピンチの時にどうにも出来ないじゃないですかって話です。
だから、今回は「実力じゃなくて、性格的に適しているのは」という観点で、
考えてみたいと思います。

さて、じゃあリーダーというと、

国なら総理大臣。
都道府県なら知事。
市町村なら市町村長って、なんか変な日本語かもしれないですけどw
学校なら校長。
会社なら経営者。
家族なら親(父か母かは今回は無視します)。
コミュニティなら責任者。

というのが連想されると思います。幾つかの例でしかないですけど。
ただ、上記全てを一緒にして良いとはあまり思わないので、
「公共」と「民間」で分けたいと思います。

公共:
総理大臣
知事
市町村長
校長

民間:
経営者

コミュニティ責任者

で、リーダーに求められる資質として「公平(フェア)な判断」というのがあるんじゃないかと思うんですけど、
「公共」の方は、「普通に考えれば」特にそれを求められると思うんです。
民間の方はですね、「会社(のポリシー)」としては別に公平じゃなくても良いと思ってます。
というか、公平って「売れない」んですよ。
今、というか昔からそうですけど、売れた商品って良くも悪くも「キャラ立ってる」と思いますし。
まぁ、「万人向けは誰にも受けない」という言葉もありますしね。特に芸術系で多いけど。
でも、「経営者個人」としては、やっぱり公平性大事なんじゃないかって思うんですよね。
といっても、「公平性確保したら今度は売れない」というジレンマもあるかもしれないので、
ここは、「退職について、条件を甘くする(というか、変に甘くする必要もないと思うけど)」でどうかなと。
で、この「法人格と個人格の使い分け」が非常に難しい所だと思うんですけど、
今回の話とは直接関係ないので、「ペルソナ」というキーワードだけ残しておきたいと思います。
参考サイトは http://www10.plala.or.jp/mituha/je_ne/merdre/peru.htm かなと。

で、その1のタイプ別分類で、公平性となると「ニュートラル-ニュートラル(N-N)」が最も適していると思うんですけど、
ここで「大きな問題(というか溝?)」があると思いまして。

一点目。
単純に、ニュートラルが認識しづらい(キャラが立っていない、優柔不断にも見えるかも)。
個人的には、認識するのにかなり苦労しましたけどねって、未だに分からない点も多々あるんですけど。
で、「認識しづらいのに、多数の支持を獲得出来るのか」と。
やっぱりですよ、リーダーはキャラが立ってる方が、庶民から見て分かりやすいと思うんですよ。
でも、それが微妙だと。
「理想のリーダー像」というのを、考え直す必要があるかもしれないですね。

二点目。
その1で「無邪気な赤ちゃん」と書きましたけど、その点について。
生まれた瞬間は、多分N-Nなんだと思います。
だって、思想とか利己的・利他的とか、認識出来ないでしょうから。
で、年をとっていくに連れて、思想も行動軸も偏っていって、最後に固まる。
で、それ自体は必ずしも問題じゃないと思います。
なんで問題じゃないかは、後で書きますけど。
ところが、N-Nの場合、どっかのタイミングでN-Nに戻るとか、
もしくは、「ずっと、N-Nのまま」とか、他にもありそうですけど、
そういった流れで、キャラが確立されていくんだと思いますね。
で、大人になったけど、無邪気な赤ちゃんのままっていうのは、
そんな性格でも周囲が許してくれたという意味で、恵まれた環境で育ったのかもしれません。
で、当然の事ながら、
「無邪気な赤ちゃん」だけど大人がリーダーやられたら、たまったもんじゃない(周りが大変)と思うので、
非常に「ギャンブル性が高い」と思うんですよね。
といっても、ダメだったら落選させれば良いんですけど。
ただ、いづれにしても、「無邪気な赤ちゃんか、ちゃんとしているのか」を見極めるのが難しいとは思いますね。

三点目。
「偏りのバランスを取る」とありますけど、
これって、結構「相対的」なもんなんですよね。
例えば、現状はちょっとロウの方に偏っているから、
カオスの方に寄せるとか。
で、これちゃんとやるには、「現状認識」が大切になってきまして。
で、この現状認識については、
リーダーは勿論の事、
庶民も出来ないと適切にバランスを取っているかどうかの判断が出来ないと思うので、
その辺も大切かなと。

四点目。
N-Nは利己的に動くともあるので、リーダー自身にしか有益にならない事もするという点。
例えば、「教育しているのは、100%自分の純粋な下心」とか。
でも、教育自体は「利他的」な一面も、勿論あると思うんですけどね。
ところが、「教育というのは、そんな下心をもって行う事ではなく、
未来の子供達の為に、慈愛の心を持って行うものであって」とかなってしまっている様にも感じるんですよね。
でも、「宣言」しているから、「偽善」じゃないですし、
これは「分かりやすい」んじゃないかと思います。

だから、そういうリーダーに対して、
「もっと利他的に!」とか「もっと秩序を!」とか「もっと自由を!」とか求めたら、
まぁ、全然ダメダメなら話は別ですけど、でもあまりそうじゃないなら、
リーダーはやる気失くすかもしれませんね。

あと、リーダー論といえば、 「勤勉である」という怠慢 http://d.hatena.ne.jp/gallu/20081114/p1 という記事も役立つかと。
「怠惰」って所に、抵抗示す人が多い様に感じます。
いや、「日本人は勤勉がウリ」ってイメージ強いと思いますし。
でも、それだと「リーダー死んじゃう」と思います。

最後に五点目。
これは、オカルト的な話ですけど、
その1の「妖精」って所のリンク先に
「多くの日本人は面と向かって文句を言わず黙って来なくなるだけであるため、カモにしすぎた事に気付いた時はもう手遅れであったりする」
「そのことで海外では日本人観光客を妖精と言うそうである。文句も何も言わないのに急に来なくなるから」
と書かれてまして。
あと、その1の一番最初にリンク張った属性表でも、
妖精はN-Nに限りなく近いって所から、
上記の様な事をする人が理想なのかもしれませんw
だから、「何も言わずに、官邸や会社に来なくなる」とかwww
「そんな人間、リーダーに出来るわけが!」。はい同感です。
でも、さっきも書きましたけど、
あまりリーダーに多くを求めちゃうと、リーダー死んじゃうし、
公平にといっても、これだけの人口がいて、
リーダーだけで、全部見るってわけにもいかないと思うんですよね。
勿論、税金払ったり、仕事することで利益アップに貢献しているというのはあるので、
主張はしても良いんですけど。
ご機嫌斜めになっちゃうと、海外逃亡の為に英語とか勉強し始めるかもしれませんね。

とりあえず、リーダー論についてはここまで。
さすがに、得られる利益(公平性)が大きい分、
ハードルの高い条件が並んだって感じですね。
といっても、人類の歴史において、果たして公平性が確保された時代や国があったのか?と考えると、
まぁ、こんなもんなのかもしれません。

さて、ちょっと現政権についても、触れておきたいと思います。

思想軸については先程も書いた通り、
絶対的なものじゃなくて、相対的なものだと思うので、
民主党が極カオスだったから極ロウに見えている可能性があるかも。
一部では、中道(つまりニュートラルの事)であるという意見も出ていましたのでね。
だから、思想は言われている程、危険じゃないかもしれないですね。
まぁ、全く気にならないのかと言われると、そんな事は無いですけど。
ただ、行動軸は「利他的」が強そうに感じてまして、
「もうちょっとサボって、その間は勉強する時間(特に、自分の知らない分野)にあてる」とか、
した方が良いんじゃないかとは感じますね。
あとは、比較的調子が良いと思うので、
「勝って兜の緒を締めよ」という感じなんじゃないですか。
あと、政治家に限らずリーダー目指している人は、
明日の光 http://homepage1.nifty.com/umineko-k/asita_fr.html の「序章」リンク内の、
「暗黒戦争当時」から、
「もろくも崩れ去ったのである。」までの内容も、
参考になるんじゃないかと。
まぁ、そんなに「綺麗事ばかりじゃない」と思いますしね。

最後に、リーダー論とは全然関係なく、
タイプ別属性表について、ちょっと分析を。

1.偏っているから悪いのか?

全然、そんな事は無いと思います。
だって、その1にも書いた様に、
全ての属性にメリット・デメリットがあるわけですから、
デメリットを最小限に抑える様に意識しつつ、
メリットを出していくのが良いんじゃないですかね。
ただ、公平性という観点からは、向かないと思いますけど。

例えば、最近「江頭2:50」さんを久々に見たんですけど、
「とてもキャラが立っていて面白い」と思いましたよ、個人的には。
女性の大多数からはドン引きされている方だと思いますけど、
でも、万人に支持されるって、やっぱり無理だと思うんです。
リーダー論の所に書き忘れましたけど、
公平性にしたって、「不公平のままがいい」って人から見たら、
反発になるわけですし、
「何を持って公平とするか」だって、人によって違ってくる。
ただ、リーダーとしては、やっぱり公平性を目指すという方向性で良いと思いますし、
偏っている方々は、「良い意味で偏っている」という方向性を出していけば良いんじゃないですかね。
今回のタイトルになってるゲームも、「めちゃくちゃ個性的」だと思いますし。

2.利己的だから悪いのか?

必ずしも良いとは思いませんよ。
ただ、最初はN-N(つまり、利己的であり利他的)だったのに、
どうして、利他的さが無くなってしまったのかというのは、
ちょっと考える必要があるんじゃないですかね。

例えば、英才教育で育てられたけど、
厳しい教育で、いつまで経っても親や周囲が承認してくれず、
自己肯定感を得られていない。
そうした結果、他人が信用出来なくなり、
自分さえ良ければ良いと思う様になったとか。
あるいは、性格的に消極的である事を理由にいじめられ続けて、
他人が信用出来なくなっていき、
自分さえ良ければ良いと思う様になったとか。
あるいは、こういった発言 https://twitter.com/bcyamazaki_bot/status/446912599808937984であったり。
あるいは、これは利己的さがプラスに出る場合で、
芸術系の創作で時々見聞きする
「他人は完全に無視で、自分さえ喜べれば良い」という、
完全に「利己的」な考えで作った作品が、意外に支持されるという結果とか。

利己的さが悪い方に出る場合もあるとは思います(でも、それは利他的さのありがた迷惑だって同じだし)けど、
でもそれは「利己的だから」ってわけでは無いと思いますけどね。
「陋規(ろうき)の乱れ」が怪しいと睨んでますけど。

あと、キーワードやキャラクターで幾つか例を挙げるなら、
魔女狩り」とか、
ドラクエ?のデスピサロ」とか、
DDFFのカオス」とか、
真・女神転生ifのハザマ」とか、
キリが無いですけどね。
まぁ、フィクションだと、悪役全部かも。

ということで、かなりの長文に加え、
駄文を垂れ流していますけど、
ツッコミなどを頂ければ幸いです。

真・女神転生Ⅰから学ぶ_その1

さて、今回はタイトルのゲーム(以下、真Ⅰ)を題材にして、
そして、その中から属性 http://xn--ehqs60c2gs6ptzjh.jp/shin_megaten1/mcd_devil021.html というものについて分析し、
そして、「それぞれの人間の特徴」について考えて、
その2の内容に繋げていきたいと思います。
一応、自分の別のブログですけど、望ましい社会の「カタチ」を考える http://kitoku1.blog129.fc2.com/blog-entry-209.html を、
もう少し細かく分析した感じでしょうかね。

まずは、一つ注意点を。
いわゆる「思想」の話が沢山出てきますけど、
現実の「現代思想」は、こんなに単純じゃなく、もっと複雑です。
フシギなくらい見えてくる! 本当にわかる現代思想 http://www.amazon.co.jp/dp/4534049684 を読んで思いました。
ただ、「入門の叩き台」として以下の話は良いと思うので、
その点に注意が必要だと思います。

じゃあ、本題です。
まず最初に、
「これはゲーム(フィクション)の話であって、現実(ノンフィクション)には適用出来ない」と思われた方は、
こちら http://d.hatena.ne.jp/kitoku_magic/20131117/1384686240 を読んでいただければと思います。
で、不明点などは、ツッコんで貰えれば。

次に、まずは思想軸(横軸)から。
ココ http://illithidnyorori.seesaa.net/article/128997176.html も参考になると思います。

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A.ロウ(秩序)

特徴は、以下の様な感じです。

1.法律やルールを重視する
2.全体主義ユートピア的な思想を持つ

B.ニュートラル(中立)

中道とか中庸とかとも言われますね。
特徴は以下の通りですけど、やっぱり「分かりにくい」ですね。
あ、この後に出てくるニュートラル全てに言えることですが、
基本的に「どっちつかず」なので、キャラが立っておらず、
よって認識しづらいです。

1.ロウとカオスのそれぞれの特徴について、特に肯定も否定もしていない。もしくは、特徴を認識出来ていない
2.特定の思想に依存していない。もしくは、思想の内容について、認識出来ていない

あとで詳しく書きますけど、「認識出来ていない」というのが一つポイントです。

C.カオス(混沌)

カオスとなっていますけど、
このゲームでは、いわゆる「カオス理論」のカオスとは違う意味合いで使っていると思われます。
特にこちら http://shindds.main.jp/dds/sidec/talk/talk18.htm を読んで思いました。

特徴は、以下の様な感じ。

1.自由を重視する
2.個人主義ディストピア的な思想を持つ

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じゃあ、ここからは行動軸(縦軸)について。
こっちは、ココ http://www16.ocn.ne.jp/~somebody/rule/zokusei.htm のページ下部の内容が良さげです。

ちなみに、縦軸の分類基準として、
「善と悪」や「献身的と刹那的」や「前向きと後ろ向き」とか色々とありましたけど、
今回は「利他的と利己的」で分類してみたいと思います。
他にもあると思いますけどね。

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D.ライト(利他的)

1.他人の為に尽くそうとする
2.前向きで活動的

E.ニュートラル(中立)

1.利己的であり、利他的でもある。もしくは、何が利他的で利己的かが認識出来ない為、本能のままに動く

F.ダーク(利己的)

1.自分の為に尽くそうとする
2.後ろ向きで消極的

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じゃあ、ここからは、混ぜ合わせてみましょう。

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A-D.ロウ-ライト

全体の秩序を維持する為に、利他的に動く。

メリット:利他的に動く事で、救われる人が出てくる。
また、全体の秩序も維持され、争いが収まる。

デメリット:利他的な部分を「ありがた迷惑」に感じて、逆に不幸になる人が出てくる。
また、個人ではなく全体の秩序の維持を優先する為、犠牲になる個人が出てくる。

A-E.ロウ-ニュートラ

全体の秩序を重視してはいるが、特に行動に対しての信念はない。
もしくは、利他的に動く事が必ずしも良い事だとは思っていないとか、
そもそも、利己的と利他的の区別が付いていない。

メリット:全体の秩序を重視しつつも、行動に対して大きく利他的でもない為、不幸が起きにくい。

デメリット:全体の秩序を維持する為に、利他的に振る舞った方が良いと思われる時に、
行動が遅くなりやすい。結果、全体の秩序が失われる。

A-F.ロウ-ダーク

全体の秩序を維持する為に用意した制度(法)などを、
利己的な目的の達成に利用したりする。

メリット:利己的な目的が達成され、自分や同じ趣味などの人間の満足感が満たされる。

デメリット:自分とは違う趣味などの人間が、不幸になる。

B-D.ニュートラル-ライト

全体の秩序と自由を保障する為に、利他的に動く。

メリット:秩序と自由の両方を保障する為に利他的に動くので、
ロウからもカオスからも文句が出にくい。

デメリット:秩序の維持と、自由の保障が対立する様な状況での決断スピードが遅くなりがち(実力アップにより、決断を早める事は勿論可能)。
また、利他的に動くことで、ありがた迷惑に感じる人も出てくる。

B-E.ニュートラル-ニュートラ

偏りのバランスを取る為に、利己的にも利他的にも動く。
もしくは、何も認識出来ていないので、本能のままに動く。
基本的に、何かに執着しているという部分が無い。

メリット:偏りのバランスを取ろうとするので、どの属性の人間から見ても「公平感」が生まれやすい。

デメリット:何も認識出来ていない場合、無邪気な赤ちゃんの様に何をするか分からない可能性がある。
もしくは、偏りのバランスを取る事以外に、信念をいうものを特に強くもっていないので、
比較的気分屋に見えるかもしれない。
神話の生き物だと、妖精 http://wiki.chakuriki.net/index.php/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA に近いイメージ。
また、秩序の維持と、自由の保障あるいは、
利他的と利己的が対立する様な状況での決断スピードは、遅くなりがち。

B-F.ニュートラル-ダーク

偏りのバランスを取る為に、利己的に動く。
一例として、公共と民間のシナジー効果を得る為という目的で、
公共事業に民間事業の要素を含ませて、自社「だけ」の利益拡大に繋げていこうとする。
イメージとしては、フィクションの「黒幕」に近い。

メリット:秩序と混沌のバランスを取る為に利己的に動くので、
同じ目的を望んでいる人間からは好まれる。

デメリット:利己的に動くことで、不幸になる人間が出てくる。

C-D.カオス-ライト

自由の保障を得る為に、利他的に動く。

メリット:自由から新たな創造が生まれ、その創造から利益を享受する人が出てくる。

デメリット:新たな創造が、何をどうすれば良いのか分からない人(子供や、社会人だと新人など)にとって、ありがた迷惑になる部分も大きい。

C-E.カオス-ニュートラ

自由の保障を重視してはいるが、特に行動に対しての信念はない。
もしくは、利他的に動く事が必ずしも良い事だとは思っていないとか、
そもそも、利己的と利他的の区別が付いていない。

メリット:自由の保障を重視しつつも、行動に対して大きく利他的でもない為、不幸が起きにくい。

デメリット:自由の保障を維持する為に、利他的に振る舞った方が良いと思われる時に、
行動が遅くなりやすい。結果、自由の保障は失われる。

C-F.カオス-ダーク

自由の保障を得る為に、利己的に動く。

メリット:自由から新たな創造が生まれ、その創造から自分や同じ趣味の人は利益を得ることが出来る。

デメリット:新たな創造が、多くの人(特にロウの人)にとって、大迷惑になる。

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ということで、ポイントとして「全ての組み合わせにおいて、メリットもデメリットも存在する」という点を押さえておいて、
その2にいきましょう。

魔法少女まどか☆マギカから学ぶ

さて、TV版全話と、劇場版の叛逆の物語を観ましたので、
この作品からは何が学べたかを書いていきたいと思います。
勿論、ネタバレありです。
あと、今回も結構内容キツめだと思いますので、ご注意下さい。

といっても、実は428から学ぶの内容と微妙に被ってまして、
そちらを読んでから、以下を読んだ方が良いです。
428の方に書いた内容も、一部引用してますので。

本題に入ります。
「戒め」という言葉を、1〜2話ぐらいの時点で浮かびました。
1話のほむらの台詞である、

「今とは違う自分になろうだなんて、絶対に思わないことね。さもなければ、全てを失うことになる」

というのは、
「何も望むな。望めばそれと同じだけの絶望に見舞われる」
って事ではないかと。
事実、その後に、マミもさやかも杏子もまどかもほむらも全員、
悲劇に見舞われている(ほむらは、劇場版ででしたけど)わけですし。
ただ、本人が悲劇と感じているかどうかというのがあるとは思いますので、
本人次第なんだろうとは思いますけど。

428の方に書いた、
「世界を変えるとか、他人を変えるとかって、「傲慢」」って事については、
別に傲慢だからダメってわけじゃなくて、
「やっても良いけど、やる事によって批判を受けたり絶望に見舞われる事については、覚悟して下さいね」
って事だと思いますね。
ただ、大抵の場合、その批判を受け止められていないから、おかしな事になってると思うので、
「だったらやるな」って結論になってしまうんですけど。

あと、428の方では、「自分を変えろ」と書きましたけど、
自分を変えることでも痛みを伴うので、
別に、必ずしも自分を変える必要もないと思います。
残酷な書き方をするなら、
「自分を変えようが変えなかろうが、選んだ選択によって歩む道が変わるだけ」
じゃないかと。
ですから、選択によってどんな道になって、
そしてそれは自分が納得出来る道なのかを想像するしかないと思います。
選択っていうと、ゲームですけど女神転生をやってみて、
選択をシミュレートしてみるのも面白いかもしれないですね。

ですから、どういう人生歩んだって良いと思うんですよ。
個人的には、「後悔は出来るだけしたくないなぁ」というのがあるので、
「こっちの方が後悔しないんじゃないか」と思う選択をする方が良い(それでも後悔する時もあるんでしょうけど)と思ってますけど、
この辺は、個人によって色々な基準があると思いますしね。

戒めについてはこの辺りまでにして。
もう一つ思った事(こっちは428には無かったような)である、
「中立」という点について、少し書いてみたいと思います。
この中立っていうのは、
秩序・中立・混沌の概念(女神転生やダンジョンズ・アンド・ドラゴンズというゲームなどで出てきますね)を知らないと、
ピンとこないかもしれないですけど。

キュゥべえ(以下QB)や、
他の作品ですけど、ペルソナ2罪のフィレモンとニャルラトホテプや、
PSYCHO-PASSの槙島(彼は混沌かも。微妙な所)や、
あと、リアルの色々な方(僕自身も含む)や、
実際の職種ですと、
「公人」や「顧問」や「コンサルタント」や「管理職(中立じゃなきゃ、支持されにくいと思います)」といった方々を見ていて思ったんですけど、
「甘言や他人事な発言で他人を振り回すだけ振り回しておいて、自分は高みの見物」という態度が、
「とっても」嫌われるんだと思いました。まぁ、そりゃあそうですね。
上記だと、槙島とニャルラトホテプは自分も当事者として参加しているので、
そんなに嫌な印象を感じなかった(ここの是非は、議論になると思います)ですけど、
QBとフィレモンは、ホント酷かったですね。
この2人は、ググってみると「殴りたい」という意見が多かったですし。

三者的立場で、意見だけ言っていれば良いっていうのは、
一種の「特権」なんだろうと思うんですよ。
行動しなくて良いんですから。
でも、「だからこそ」無責任な発言は慎まなければいけないと思いますし、
無責任な発言をしたとしても、それに対して罪の意識すら持たないのは、
「論外」だと思いますね。

それだったら、「何も意見を言わないし、何もしない」方が、まだマシだと思います。
ただ、ここも批判的な意見が、結構あるみたいですね。
例えば、こちらとか。
個人的には、「肯定も出来ないけど否定も出来ない(というより判断材料が無い)」と思ってますけど。

どうも、これは中立に限った話じゃないんですけど、
意見を表明したり、行動することが善で、
意見を表明しなかったり、行動しないことが悪であるっていうのが、
一部では、共通見解になってるんじゃないかと思うんですよね。
でも、この作品(まどか☆マギカ)は、上記にもある通り、
「消極的」姿勢に関しては、全く否定的じゃない(夢や希望を持つ事に対して、戒めているわけですから)ので、
「積極性は美徳である」と思っている方こそ、観てほしい作品だと思います。