あらゆることから学ぶ

職場や学校に限らず、勉強とは関係ない様な事からも、学んでいくブログです

フィクションから学ぶ

まず、第一回目はこんなネタを。
で、ややこしくならない様に、この記事におけるフィクションとノンフィクションの定義を書くと、
フィクションは「現実じゃないもの」、ノンフィクションは「現実のもの」です。
いや、ノンフィクション小説とか考えると、ややこしくなるなと思いまして。

では、本題に入ります。
まず、最も重要と思われる点について書きますと、
フィクション「じゃないと」、学べないことがあるという点。
例えば、「自分という主人公が死ぬフィクション作品」があったとして、
ノンフィクションで自分が死んだら、学びたくても学べませんw
だからですね。

次に、これは僕自身も以前思っていたことだったんですけど、
「フィクションは、所詮フィクションであり、ノンフィクションには結び付かない」
という考え。
今年になるぐらいまで、ずっと思ってましたね。
だからゲームをやらなくなった事もありましたし、
アニメや漫画も見なくなりましたし、
小説や映画も、ノンフィクション作品(もしくは、その比率が高い)を好んでいました。
ただ、今思えば、これも一種の「思考停止」だったんでしょうね、「フィクションは何の役にも立たない」という。
だから、よく聞く「ゲームなんて子供がするものだ」という考えも、「半分ぐらい」同意します。
ただ、残りの半分ぐらいは、例えばこれは極端ですけど、この歌詞の内容に同意しますね。

次に、じゃあフィクションからは何を学べるのかという話。
勿論、フィクションの内容によって、全然違うんですけど。
例えば、「こういう風にしていったら、ああいう風になっちゃうんじゃない?」という、
未来の一つの可能性を表現した様な作品。
PSYCHO-PASS サイコパス」ってアニメや、
真・女神転生?の「砂漠の東京」や「爆炎の東京」なんかに、色濃く出ていると感じますね。
あと、僕が知らないだけで、他にも沢山そういう作品はあると思いますけど。
で、これには、「警告的なメッセージ」が強く含まれていると感じますね。
「いいんですか?大丈夫なんですか?」みたいな。
これは、現実でそうなったらヤバイんじゃね?っていう、一番最初に書いた内容にも絡めますね。

あと、ノンフィクションだと精神的にちょっとキツイんじゃね?ってのを緩和させる為に、
フィクションで「体験」してみるという作品。
これは、Missingという小説と、ペルソナ2というゲームに、色濃く出ていると思いますね。
まぁ、体験でも、結構キツかったんですけどね(苦笑)
まぁ、「自分に向き合う」系は、大体キツイんですけど。
でも、こうして正常に生きているわけですから、まだマシってもんです。

もう一点。
フィクションは「時間進行が早い」という点を利用したものとして、
「時間が経たないと理解しにくい事を、さっさと理解する」という作品。
これは、個人的には完全に想定外だったんですけど、
シアトリズムファイナルファンタジー(2014年に最新作が出るそうです)という作品で、
僕のもう一つのブログに書いてあるスキルの熟練度の違いを、
学べました。

という感じで、まだまだ沢山あるんでしょうけど、とりあえず今回はこの3つを取り上げてみました。

さて、じゃあ良い事ばっかりなのかというと、勿論そんなはずはないわけで、
注意点を書くことにします。

デメリットとして大きいと思われるのが、いわゆる「中二病」全開になってしまうこと。
「全知全能の主人公」がいたとして、「よし!俺もアイツだ!世界を救うぞ!」って、ちょっと待て待てと。
フィクションとノンフィクションを、ちゃんと区別するのがポイントなんでしょうけど、
そこは注意点だと思いますね。
でも、あんまり、フィクションだからって意識を強く持ち過ぎると、それはそれであまり学べない様にも思いますね、感覚的には。
じゃあどうするんだよって話になっちゃうんですけど、これは今後の課題としておきます、何とも言えないので。
多分なんですけど、このフィクションから学ぶっていうのは、
「仕事や学校やビジネス本などで、学び方をある程度確立した人」じゃないと、デメリットの方が多いかもしれません(苦笑)
だから、「中〜上級者向け」の学び方かも。

でも、人によってはいい感じに学べるとは思いますので、
上記の注意点に気を付けつつも、
たかがフィクション、されどフィクション。
のめり込み過ぎるのも危険だけど、完全に無視するのも危険。
そんな心持ちで、フィクションから学んでいくのが、一番良いんじゃないかなぁと思います。