あらゆることから学ぶ

職場や学校に限らず、勉強とは関係ない様な事からも、学んでいくブログです

428から学ぶ

本当は、この記事の前に「ゲームから学ぶ」というのを先に書いた方が良い気もするんですけど、
タイミング的に仕方ない(クリアした直後なので)ということで、書いてみたいと思います。

あと、今回はかなり内容が「普遍的」で、
結構キツイ内容になっていると思いますので、読む前には覚悟した方が良いかもしれません。
といつつ、これでも結構内容を緩くしたんですけどね(苦笑)

では、この428というゲームから、
何を学ぶのか、それは「因果」です。勿論、他にもあるんですけど。
あるいは、別の言い方をすると、「風が吹けば桶屋が儲かる」とも。
単純に書いちゃえば、「AがこうしたからBがこうなった」みたいな話ですね。
「BがAの影響を受けた」とも言えるかな。
ただ、プレイ途中で「御都合主義」という単語も浮かびまして。
ゲーム中の展開で、そう感じられる部分もあるんでしょうけど、
かといって、じゃあそれが全て御都合主義なのかというと、それもまた懐疑的でして。
ココにもある通り、
因果を証明するのって、結構難しい点もあるので、
全ては因果であると言うつもりは、少なくとも現時点ではないんですけど、
個人的な人生経験(過去を振り返ると、沢山思い浮かびましてね)から考えても、
「でも、因果ってあるよね」って思います。
で、この「因果ってあるよね」っていうのを認識しているかどうかで、このゲームに対する見方が変わると思いますね。

一つ、具体例を書いてみましょう。
僕は、家族から「プログラミングっていうのがあるよ、やってみたら?」と言われ、始めています。
そして、結果として様々な出会いがあり、助けられもしたり痛みつけられたりもしたりして、今に至ります。
あと、プログラミングをきっかけとして、色々な分野に対して勉強する様にもなった(それまでは、ちっともしていないので)んですね。
なので、プログラミングとの出会いには、大いに影響を受けています。
じゃあ、家族から言われていなかったら、どうなっていたのか。
死ぬまでやっていなかったかもしれません。
もしくは、やってはいたけれども、上記とは違う展開(その後、会った人が違うとか)で、
痛みつけられて、そのままプログラミングとはさようならという展開も考えられます。
勿論、痛みつけられなかった可能性もあるんですけど、
今のIT業界の現状を考えるに、その可能性はかなり低い様に感じますね。
だから、「あのタイミングだったから」っていうのは、あると思いますけどね。
違うタイミングだったら、既に死んでてもおかしくないなぁと。

さて、じゃあ因果というか悪影響を受けない方法はないのか。あります。根本解決にならん場合もあるけど。
死ぬのを回避する為に、仕事をする。
もっと高収入を得る為に、転職したり独立する。
クライアント側の景気に収入が左右されないようにする為に、取引先を増やしてリスク分散を図る。
他人の死から受ける影響を少なくする為に、経済的にも精神的にも自立する。
で、その為に努力する。
ということで、解決も可能かなと。
だから、この影響を受けない方法があるのを知ってる人ほど、
「何か起こっているが、自分には悪影響を及ぼさないので関係ない」という思考になりがちじゃないかとも思います。
少なくとも、僕はそうでしたけどね。
でも。
地球の影響を受けるとか、国家の影響を受けるとか、自身が属している業界の影響を受けるとかになると、
影響回避が、一気に難しくなる(というか、一部は無理でしょ)んですよね。
勿論、良い影響もあると思うので、それも含めてですけど。

あと、少し話が変わりますけど、影響というものについてもう一点。
今、悪影響が無くても、将来的に悪影響を及ぼすというのもあるかと。
「行動がエスカレート」してね。
行動のエスカレートって、いじめとか想像するに、中々恐いもんがありましてね。
なので、「今起きていることから、将来的にどうなる事が予想されるのか」というのは、
想像力を要するとは思うんですけど、考えるのは大切かなぁと。

じゃあ、今度は逆に影響を与えるという点について。
というか、「そんな事するな」で終わるんですけど。
世界を変えるとか、他人を変えるとかって、「傲慢」だなぁとか思っちゃうんですよね。
自分色に染めたいという観点において。
だから、「自分を変える」で良いのでは。
というか、変えるんなら「何をどう変えたいの?」「変えたら何が解決するの?」「その変えることは、皆(あるいは地球)にとって本当に望ましい事?」
「変えて欲しいって、ちゃんとヒアリングしたの?」
などについては、ご説明頂かないと。
当然、主観的ではなく「客観的」に見てどうかって観点で。
大体、変えようとしなくたって変わるし、他人も変わるんじゃないですか、「自生的秩序」によって。
諸行無常」とも言えますかね。
上記のプログラミングの話も、家族になんでああいう事言ったのか聞いてみたら、
「何となく、向いてるかもって思ったから」って言ってましたしw
あと、Rubyのまつもとさんも、最初は単なる個人プロジェクトだったそうですし。
だから、どちらも別に今の状態を予期していたわけじゃないと、思いますけどね。

ということで、身も蓋もない話をすると、
影響を与えようとしなくても、実は与えているし、
受けようとしなくても、やっぱり受けるということで、
「影響を与える or 与えない」という話をする事自体、実は不毛な議論じゃないかと思ったりもしますw

さて、じゃあどうすれば良いんだ?って話になってくると思うんですけど、
ゲームのネタバレを含めつつ書いてみます。

ゲームでは、一人一人の行動が影響を与え合い、危機が救われました。
でも、最終的には、主題歌のタイトルの通り「世界はそれでも変わりはしない」でした。
でも、「世界は変わらなかった、残念でした」ではないと思いますね。
大体、たった一日何かをしただけで、そんなに簡単に世界が変わる方が不思議ですし。
あと、ちなみに、こういうのもあるそうです。
技術展みたいなイベントで一つの流れがあるそうで、
活気的な技術は中小企業から生まれ、その後大企業が追随すると。
これ、パターン化しているそうですよ。
で、そこには、何かあったのか。
いや、何も無い、「空」とか「無」だったんじゃないですかね。
強いて言えば、「徳を積む」の結果であった様に思います。
ただ、「徳を積む」っていうのも、「自分が良いと思っても、他人が良いと思うかどうかは分からない」ので、
やる事がキッチリ確立している人は別として、
何をどうすれば良いのか、「指針」が無いと分からないというケースもあるかと。
でも、そこは「守破離」かなぁと思いますね。
それが正解かどうかは別にして、それ以上のものが、今の所は思い付かないので。
特に、現代語訳 風姿花伝という本の、
「第一 年来稽古條々」の箇所が良いと思いましたね。

これで最後です。
じゃあ、何かをした(何もしなかったも同じ)ことで、批判にあった場合にはどうするのか。
これは、ゲーム中の台詞から。

Aさん「怒ったら、怒ったと。悲しくなったら、悲しいと。相手にちゃんと伝えることが人間らしさではないでしょうか」

Bさん「それじゃ、相手を傷つけてしまったら?」

Aさん「ちゃんと謝ればいいと思います。」

というか、上記以外思い付かないんですけどw